“整える”という仕事。ゼロから築いた場所
横浜キャンパス・みなとみらいキャンパス・中山キャンパス
ヘルスキーパー(障がい者雇用)
2018年入職
神奈川大学では、2018年に教職員の健康推進と福利厚生、障がい者雇用の一環としてヘルスキーパールームを開設しました。
2026年3月現在、鍼・灸、あん摩・マッサージ・指圧師の国家資格を保有するヘルスキーパー3名を雇用しています。
2018年 横浜キャンパス第1ヘルスキーパールーム開設
2021年 横浜キャンパス第2ヘルスキーパールーム開設/みなとみらいキャンパスキャンパスヘルスキーパールーム開設
2022年 中山キャンパスでの出張施術を開始
INDEX
欠けて見える世界の中で
私の目は網膜色素変性症で、正面は見えていても、周囲の視野が欠けており、少しずつ見える範囲が狭くなっています。子どもの頃は強い自覚はなく、まぶしさが苦手で目を細める癖があるくらいでしたが、20代の頃から、標識の一部が欠けて見えたり、見えていない瞬間があることに気づきました。

働き方を変える決断
建設業で長く働いた後、腰痛をきっかけに飲食業へ転職しました。チケットの表示を見落とすことが増え、視力の低下を感じて眼科を受診。大学病院での精密検査を経て病名が確定し、これまでの働き方は難しいと告げられました。
その後、家族と相談し、横浜市盲特別支援学校にて3年間の課程で鍼灸・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を目指す道へ。理論と実技を積み重ね、合格してようやくスタートラインに立てる。背水の陣の学びでしたが、「人の役に立つ手の技」を身につけたいという思いが支えになりました。

“大学で働く”という選択
治療院や企業のヘルスキーパーの進路を想定していた中、2年生の時に盲学校から「神奈川大学がヘルスキーパールームの新規立上げを計画しており、人材を探している」との話を聞き、推薦いただきました。神奈川大学の担当者が盲学校に赴き、直接オファーを頂けたことが何より励みになりました。
3年生の夏には、実際に神奈川大学で職場実習を経験しました。キャンパスまでの通勤のしやすさや構内の動線のわかりやすさは、視覚に不安のある私にとって大きな安心材料でしたが、大学という教育機関の雰囲気にも惹かれ、「ここなら長く向き合える」と感じ、入職の意思を固めました。

立ち上げの現場で
入職当初は、ヘルスキーパールームの部屋はあっても、運用はこれからという段階でした。保健所への申請、物品の選定、助成金の手続き、カルテの準備、予約や稼働率を管理する仕組みづくりまで、担当職員の方々と一緒にゼロから整えていきました。
準備を進める中で、不慣れなパソコンでの事務作業にも取り組みました。視覚の特性もあり、拡大表示で資料を見比べながら物品の性能を調べ、見積もりを取り、必要なものを一つずつ揃えていきました。施術を始める前には、職員の方に協力してもらい、試行運用を重ねる日々でした。
このような施術以外の“場づくり”に向き合う時間が、仕事の土台になっていったのです。

軌道に乗るまでの工夫
開設当初、利用者はなかなか増えませんでした。福利厚生の一環として設けられたヘルスキーパールームの存在を教職員の方々に知ってもらうには工夫が必要でした。
会議での周知、各部署への出張お試し施術、初回無料の体験導入や新卒内定者向けの見学会。受けた方の口コミもあり、少しずつ裾野が広がっていきました。
施術においても、症状に合わせたアプローチを試行錯誤し、手応えのあった方法は記録して次に活かす。こうした積み重ねで稼働率は徐々に上向き、2021年には、横浜キャンパス第2ヘルスキーパールームとみなとみらいキャンパスヘルスキーパールームのオープンが決まり、2人目のヘルスキーパーを迎えることができました。そして2022年からは、女性のヘルスキーパーを迎えての3人体制となり、提供する施術の幅も広がり、利用者層の拡大にもつながりました。現在は、中山キャンパスでの出張施術も行っており、立ち上げで得た知識や調整の経験は、体制を広げていく場面でも様々役立ちました。

支え合いの中で続く仕事
場づくりへの試行錯誤を重ねてきた今、どれだけ施術の技術があっても、それを発揮できる環境がなければ続きません。神奈川大学では、障害者職業生活相談員を選任しており、定期的な面談で相談の場があり、困りごとを改善につなげる環境があります。ヘルスキーパールームにおける電子錠への変更や、階段の滑り止め設置、暗所の照明の調整など、視覚障がいのある者の動線への安全配慮は、安心して仕事に向き合う土台になっています。
私は、人に喜んでもらう仕事が好きです。鍼灸・あん摩マッサージ指圧師として、利用者に向き合い続ける日々は学びの連続。神奈川大学の教職員の方々の体と心に向き合いながら、この場所が“整える選択肢”として根づくよう、これからも工夫を重ねていきたいと思っています。

※内容はすべて取材当時のものです。