卒業生

学生時代も今も、夢は“チームの力”でかたちにする。

小俣 延明 工学研究科 機械工学専攻
職種:自動車メーカー 開発職
就職先:日産自動車株式会社

INDEX

01エンジニアの多様な思考からベストを探る

自動車の開発プロセスは、実はメーカーによって異なります。日産自動車では、市場調査を踏まえて車のコンセプトを考える「商品企画」、資材やコストを管理する「購買」、設計や技術で車をかたちにする「開発」という3部門の責任者が、話し合って進めていく方針。私は「開発」部門の一員として、車両計画を担当しています。

 

現在携わっているのは、「プラットフォーム」と呼ばれる車の基本骨格に関する戦略立案。エンジン、モーター、バッテリー、タイヤなど、走るために必要な部品を搭載した車体骨格の性能向上と、複数の車種で共用化するための提案に取り組んでいます。といっても、私の部署でエンジンやタイヤなどを一から作っているわけではありません。私たちの役割は、プラットフォームに搭載する各部品を設計・開発している技術者や実験部を取りまとめ、提案までの進行をマネジメントすること。各部品を組み合わせたときのサイズや形状の調整を行い、ペダルの踏みやすさやハンドルの握りやすさ、乗員の視界性などさまざまな要件を検討していきます。車両性能の向上を目指すことはもちろんですが、環境への配慮、開発期間の短縮、適正な販売価格を実現するためのコスト低減などとのバランスを取りながら、1つ1つの方針を決定していきます。業務の進め方は、まず各部品の技術者から収集した情報をもとにパソコン上で車をデジタル(CAD)で仕立て、技術課題をシミュレーションして確認。次に試作車を作り、実車実験をします。デジタル(CAD)上にしか存在しなかった車の実物と初めて対面するこのときが、仕事をする中での最高の瞬間です。「各分野のエキスパートが力を合わせて、この車はかたちになったんだ」と思うと心が震えます。もっとも、実車実験の後も、生産⼯場から「この形状だと組み付けがしにくい」などといった修正依頼がありますし、量産へのGOサインが出るまでにはもうひと山、ふた山あるのですが。

 

現在入社8年目。途中、社員教育の一環で2年間ドア設計の部署に異動したほかは、車両開発一筋でやってきました。最初に配属された海外販売用ピックアップトラック「Frontier」や、初めて実験の主担当を任されたドイツの自動車メーカーとのアライアンスプロジェクトなど、関わった車種にはそれぞれに思い入れがあります。そして今は、国内販売向け車種の担当として、パッケージングと呼ばれる配置検討に取り組んでいるところ。自分が開発した車と街中ですれ違う日を思い描いて、今からワクワクしています。

02学生時代のフォーミュラカーづくりが就職活動への自信に

子どもの頃から自動車が好きで、両親ともに教員という環境で育った私は、「将来は自動車に関わる仕事か教職か、どちらかに就きたい」と考え、機械⼯学を学びながら教員免許も取得できる点に惹かれて神大の⼯学部に入学。大学院に進むことは最初から決めていたのですが、3〜4年次になると、就職活動を始めた友人たちの話を聞いて焦りを感じるようになりました。「就職活動までまだ時間はある。でも、今のままの自分で、2年後に勝負できるだろうか?」と。

 

理系の大学院生が研究に打ち込むのは当たり前です。自動車メーカーともなればそんな志望者ばかりのはず。その中で目を留めてもらうには、何かプラスアルファの強みを作らなくては…と悩んでいたときに出会ったのが、学生チームが自らの手で1台のレーシングカーを作ってレースに臨む「全日本学生フォーミュラ大会」でした。きっかけは「自分も学生時代に活動していたんだ。神大にはまだチームがないからつくってみたら?」と研究室の助手の先生に勧められたこと。正直、最初は「就職活動に有利になれば…」という下心もあったのですが、先生が誘ってくださった決勝レースを観戦したら、そんなことは吹き飛びました。追い上げてきた2位チームの車が、あと1周で逆転というところで故障してしまうドラマ。悔し涙を流す学生たちの姿を見て、「自分も挑戦してみたい」という思いがわき上がり、大学4年次に「KURAFT」というEV(電気自動車)のフォーミュラカー製作チームを立ち上げました。

 

KURAFTの活動は、大学での研究や実習とはまったく違いました。例えば溶接。授業で習ったときは理解したつもりでも、実際にやってみると丸いパイプ形状をしている車のフレームをつなげるのはなかなかうまくいきません。解決策を探した末に、溶接加⼯会社を訪問して、職人さんにやり方を教わりました。おかげで授業だけでは学べないことをたくさん身に付けられたと思います。厳しい安全基準をクリアしKURAFTがレースに出場できたのは、私たちの活動を引き継いだ後輩たちの代になってから。それを見届けたときは感無量でした。現在の業務の中でも、開発中の車両の不具合をデジタル上で調整しているとき、ふっと学生時代に実車を調整した場面が浮かんでくることがあります。あの頃、自分の手で実物を触って体験したことが、今、頭の中で具体的なイメージを描き出すのに役立っています。就職活動では、日産自動車1社しか受けませんでした。インターンシップで車の改善点についてディスカッションしたとき、立ち会ってくれた開発者の方が、学生である自分たちの未熟な発表を真摯に受け止めてくださった姿勢に魅力を感じたからです。立場の違いを越えて意見を交換しながら前へ進んでいく社風が、自分に合うような気がしました。実はその頃KURAFTの活動が佳境に入っていて、複数のメーカーに応募するほどの時間を割けなかったという事情もあります。就職活動を見越してKURAFTを始めたのに、夢中になりすぎて、いつの間にか優先順位が逆転していました。教職課程も履修していたので、「一番行きたい会社に行けなかったら、2番目の夢だった教員になろう」と割り切れたことも大きかったと思います。

 

KURAFTでの活動は自動車づくりの知見を広げてくれただけでなく、就職活動における自信の源にもなりました。「あれだけ力を注いでEVをつくってきたんだから、自分はきっとこの会社の役に立つことができる」と。頼りにされているという自負は、今も私を支えています。「技術の日産」というキャッチフレーズがありますが、弊社内には「開発こそ我々の強み」という空気があるんです。そういう意味でも、エンジニアがモチベーションを保ちやすい会社だと思います。積み上げてきた経験が、子どもの頃からの夢がかなう場所へ連れてきてくれた。アクションを起こす大切さを実感しています。

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※内容はすべて取材当時のものです。