卒業生
矢島 俊明
ゼミ長の経験から学んだリーダーシップ。人生の分岐点となったオリエンタルランドとの出会い。大学時代に学び育ててもらったのは「チャレンジする気持ち」です。自分のやりたいことに貪欲に、その道を切り拓けるのは自分自身だけです。
株式会社オリエンタルランド所属/株式会社舞浜コーポレーション 取締役総務部長(1999年卒業)
INDEX
01理系から文系へ。何を学びたいのか、自分を見つめ直した1年間。

父親がゼネコン関連企業で働いていた影響もあり、高校生の頃は建築業界への進学を目指していました。そこで理系大学を受験したのですが、思うような結果を出せず浪人することに。浪人生の頃は、自分の進路がこれで決まるのだというプレッシャーもありましたし、とにかく勉強漬けの毎日。ただその頃は、自分は何を学びたいのかを問い直す期間でもありました。当時、父の実家があった長野県に訪れる機会があり、企業や地域、環境問題にも興味があったことを思い出し、法学部や経営学部への関心が芽生え、思い切って文転を決意。地元・横浜の神奈川大学へと進路を定め、結果、公募制推薦入試で経営学部への合格が決まりました。当時の経営学部は平塚にキャンパスがあったのですが、それを知らず、2時間かけて大学に通う日々が始まりました…(笑)。通学は大変でしたが、平塚キャンパスから見る夕方の富士山は見事でしたね。
02ひとつひとつに色鮮やかな物語がある、ディズニーランドの舞台裏。
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学生時代の思い出は、ゼミと塾講師のアルバイトの記憶しかないほど、この2つに打ち込みました。どちらも、今に続く大切な仲間たちとの原点でもあります。
大学3年の時のゼミ選択では、アサモア先生一択でした。ガーナ人の先生なのですが、外国人の先生から企業経営を学べることやゼミ1期生になれること、そして先生は慶應義塾大学の博士課程を修了されていて、神大以外の大学に詳しいことにも興味を惹かれました。25名ほどのメンバーの中で、ゼミ長も務めました。ゼミでは基本的に先生は議論に入らず、学生たちから出た結果に対して「もう一度考え直して」と再考させる。学生主体で出した結論で、先生を納得させなければなりません。メンバーをリードする苦労はありましたが、その反面、「議論をまとめるって、結構、面白いんだな」と思うようにもなりました。
高校まではどちらかと言えば目立たないタイプだったんです。でも、このままでは良くないなという思いもあり、高校生活の最後に応援団に参加したり、人前に立つことが徐々に増えていって。大学でゼミ長を務めたことは、すごく良い経験になりましたし、自信にもつながりました。そこでの変化がなかったら、今の仕事を選択することもなかったと思います。
そして、同じく大学3年生の頃、まさに人生の転機となる出来事がありました。それが、堀貞一郎先生との出会いです。経営学部の講師をされていた堀先生は、オリエンタルランドの誘致に携わった方で、当時は同社の顧問も務めていらっしゃいました。アサモア先生と堀先生が懇意にされていたこともあり、ゼミメンバーでのディズニーランド見学会が実現!見学会では、建設当時のディズニーの考え方やエリアごとのバックグラウンドストーリーの説明はもちろん、お城の見え方や床の色まで、細部にまで込められた想いに触れ、「これはただの遊園地ではない」と大きな衝撃を受けました。ストーリー性のある商品開発や店舗設計、店舗企画は、かつて自分が目指していた建築の分野と、大学で学んでいたマーケティングの分野が、結びついた瞬間でもありました。その日を境に、オリエンタルランドが入社したい企業の第一候補となり、就職が決まった時にはアサモア先生にも、堀先生にも非常に喜んでいただきました。
大学では、ゼミ活動と同じくらい、アルバイトにも力を入れていました。1年生の頃から塾の講師を4年間続け、お金を貯めては海外へ行きました。ゼミ合宿で訪問した韓国、台湾以外にも、マレーシア、カナダ、アメリカ、イギリス、スペインなど、数多くの国へ訪れました。アルバイト先には早慶の先輩方もいて、そこでの出会いも今に続いています。特に就活の際は企業へのコンタクト方法に加え、「挑戦することが大事で、落ちても縁がなかっただけだ」と行動する大切さを教えていただきました。
03今も変わらない「何事にもチャレンジする気持ち」。

オリエンタルランドに入社後は、運営部、フード事業部、関連会社など、さまざまな部署を経験しましたが、基本的には人事の仕事、中でも教育部門を多く任されてきました。部署柄、これまでたくさんの学生の皆さんと面接をしてきましたが、中には働く覚悟が不足しているのではと感じる方もいました。厳しい言い方ですが、エンターテイメント業界は表舞台が華やかな分、見えないところで支える仕事が本当にたくさんあります。しかし、どのような役割であったとしても、その仕事は、世界中から来園されるゲストにつながっている。そう思えることが、仕事の大きなやりがいです。
入社してから10年ほど経った2010年、数年後に控えたマネージャー職への昇進に備え、「自分は今後、どんなマネジメントをしていきたいのか?」という“なりたい自分像”から逆算して、MBAを取得しました。大学院では、社会の友人たちと議論を重ねることも多く、まだまだ知らない世界がたくさんあるなと感じました。
現在は、株式会社オリエンタルランドの特定子会社に出向、取締役総務部長として障がい者雇用に関する業務を担っています。着任したばかりですが、オリエンタルグループのD&I(ダイバーシティ&インクルージョン/多様性への理解の推進)を先導する自負を持って取り組んでいきたいと思います。

高校まではある程度、親が決めたレールを歩いていたように思います。しかし大学に入学してからは海外も、ゼミも、ゼミ長も、すべて自らの判断で決めましたし、それでしか自分の道は切り拓けないことにも気づきました。神大では「チャレンジする気持ち」を一番、学び育ててもらったと感じます。学力や偏差値ではなく価値観が合っていたからこそ、何かに埋もれることなく、神大で仲間同士、切磋琢磨できたと思います。
これから社会に出る皆さん。授業に出て単位を取得するだけでは、高校時代の学びと何ら変わりありません。主体的に問いを立て、自分がどう貢献できるか考え、行動してください。すべての機会で考え抜き、さまざまな他者と交わりながら、ひとつずつやりきる力を4年間で蓄えてください。その力があれば「本当に自分のやりたいこと」で、きっと未来を切り拓いていくことができます。
※内容はすべて取材当時のものです。